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高校生の数だけ、プロジェクトがある!みんなのマイプロ

三宅島情報誌

首都東京にありながらも認知度が低い三宅島。私たちは三宅島についてもっと多くの人に知ってもらいたいそして、もっと来てもらいたい。という思いから、誰もが「手に取ってみようか」、「読んでみようか」と思ってもらえるような情報誌の作成を行いました。プロジェクトでは記事の作成から反響の調査まで行いました。

マイプロレポート

あなたのマイプロについて教えてください!

Q.プロジェクトに取り組もうと思った理由と背景を教えてください

私たちの住む三宅島は2000年の噴火の際に全島避難になり一度は無人島になりました。それから4年後の2005年に全島避難指示は解除され、かつての島民の方々が戻ってきました。しかし10年以上経った現在でも村の人口は2489人と噴火前に比べて1000人以上少ない状況にあります。また、人口が少ないだけではなく島民の47%が60歳以上という高齢化社会になっています。実際に、私が住んでいる伊豆地区に同級生はいませんし、同世代の10代も5人しかいません。三宅島は本州との間を黒潮で隔てられており、ヒトのみならず生物の行き来も困難であったという特徴があります。そのため島特有の動植物や、長い間島で大切に育まれた伝統芸能や食などの固有な文化があります。これらの貴重な自然や文化が人口の減少によって島外へ発信する機会が減りつつあります。 私は、住んでいる地区にある伊豆青年団に所属しており伊豆天神太鼓という伝統芸能を継承していこうと日々活動しています。これは人口の減少や若い人の流出によって豊かな自然や歴史ある文化が忘れ去られてしまうのではないかと危惧していたからでした。そういった活動をしてはいましたが残念ながら、一向に認知度が上がっているという実感がありませんでした。そこで、三宅島について多くの人に知ってもらうための情報誌を作成することにしました。ただの情報誌では作っておわりになってしまいます。そこで私たちは「情報誌を手に取ってもらえるように」そして、「読んでもらえるように」しないといけませんので、手に取ってもらいやすい「場所」、そして「内容」は誰にでも親しみやすく、記事は自分たちが実際に体験して感じたことを書こうと思いました。

Q.プロジェクト活動を通して学んだことを教えてください

このプロジェクトを通して学んだことは、「三宅島の文化と歴史」そして「島の方々の島に対する強い思い」です。このプロジェクトは三宅島の認知度をあげることで島に興味をもってもらうことが目的でしたが、まずは自分自身が島の文化と歴史について知っておかないとこのプロジェクトはできないので、本や新聞に載っていた文献だけではなく取材を通じて島の人からも今まで知らなかった三宅の文化や歴史について学びました。その中には深刻な問題があることにも気づきました。それはくさやについて取材した際に知ったことですが、「既に三宅島のくさやは消滅していた」ということでした。私たちがこのプロジェクトを進めていた2018年に島で唯一残っていた、くさや製造会社が廃業されており三宅島の文化が1つ無くなってしまいました。こういった新たに学んだ事も含めて情報誌の記事にして島外だけではなく島内の方にも発信しなければならないと強く思いました。そしてもう1つ学んだことですが、情報誌作成中には取材を通じて多くの島の方々とお話する機会があり、その際にはとても親身になって教えて下さいました。なかでも、くさや製造会社に取材した時は、すでに廃業されていたのにも関わらず、くさやの歴史や作り方などを、忙しい仕事の合間を縫って教えて頂くことができました。それだけではなく、「自分たちで実際にくさやを作ってそれを記事にしたい」という身勝手なお願いにも快く応じて下さり、貴重なくさやのタレをお借りすることもできました。他にも釣りの記事を書く際には釣り宿の方に釣り方の指導をして頂いたり、観光協会の方には発刊前の情報誌の添削やレイアウト等のアドバイスをして頂きました。ここまで親切にして頂けたのは私たちが課題として挙げていた「三宅島の人口や若者の流出」について島の方々も同じように危惧されていたからだと思いました。「今のままでは三宅島は衰退し続けてしまう、若者がどんどん島から離れてしまう、そうあってはならない。自分たちにできることはなんだろう。」そういった思考の中でできたプロジェクトだったので、多くの方が賛同して下さったのだと思います。私はそういった島の方々の思いも一緒にこの情報誌を通じて1人でも多くの人たちにお伝えできればと思いました。

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