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2020.8.5

学びと教育をとらえ直す実験室「ゆるいエデュケーションラボ」6/17スタートイベントレポート!

 

 

 発起人である認定NPO法人カタリバ代表理事・今村久美氏、プロデューサー・若新雄純氏、教育哲学者・苫野一徳氏の3名を中心に立ち上がった、学びと教育をとらえ直すオンライン実験室「ゆるいエデュケーションラボ」。

 「教育」をフィールドにしつつも多様な背景を持ち活動する3名が、多様なゲストを招きながらこれからの「エデュケーション」を探究するオンラインゼミが2020年7月、開講!

 

 6/17(水)に開催されたスタートイベント(公開作戦会議)の対話録から、一部を抜粋してレポートにまとめました。

 

「評価ってどうすればいいの?」

「学びの格差って?」

「学校・先生ってどうあるべきなの?」

・・・・・

 

今回出てきた様々な問いは、これからのゼミの中でさらに取り上げ、探究していきます。

内容にご関心のある方は、ぜひページ下部のリンクから「ゆるラボ」に参加ください!

 

 

 

 

「ゆるい」に込められた意味とは

 

今村久美(以下:今村)

「5年前から、若新くんと一緒にマイプロアワード(※全国高校生マイプロジェクトアワード。2013年度より毎年開催)を一緒にやってきてたんですが、いつも最後、心がモヤモヤして終わります。アワードと銘打っているから、最後は受賞者を決めるために「評価」をしないといけないんですが、そもそもどうやって評価すればいいの?自分たちはどうあるべきなの?と毎回宿題を残して…結局毎年、それを繰り返してるんですね。そこで、私たちが評価の対象としてきた「学び」ってそもそもなんなんだろうとか、それを育んできた場所である「学校」ってどうあるべきなのかとか、それを問い直すような「ゆるい」作戦会議をしていきたいと思って、このラボを立ち上げたんです」

 

若新雄純(以下:若新)

「自分自身は、一家がみんな教員で、教育の「〜べき」論のなかで育ってきました。でも今、「こうすべき」「こうあるべき」だけで教育を語るのは無理が出てきていて、それらを見直す必要が出てきていると思う。ただ批判するのは簡単だけど、それだけじゃいけない。批判するのではなく、紐解いていくことが必要。

 僕は、カッコよくいうのであれば「新しいものを探していく場」の作り方、創造的コミュニケーションというのを日々研究してるんですが、「創造的」「クリエイティブ」である上でまず最初に必要なのは、ものごとを柔軟にとらえる、立ち止まって考える、「ゆるめて」いくことなんです。この「ゆるいエデュケーションラボ」でも、人が「学ぶ場」のあり方や、そもそも教えたり教わったり学んだりする営み自体をゆるめて、とらえ直せるような場になればいいと思っています。

 

 

苫野一徳(以下:苫野)

「これまで哲学徒として、公教育・学びの構造転換を提言してまいりました。新しい教育のあり方を示してきた久美さん、実装してきた若新さん。そして今日ゲストで来てくださっている、実装の大きな一歩を踏んでいる神野さん。角度が全く違うところから教育にアプローチできるのが楽しみでなりません。皆さんとゆるく繋がりあっていければと思います」

 

 

今求められる、学びの「構造転換」

 

若新:

「苫野先生からの自己紹介で「学びの構造転換」という言葉がありました。この言葉について詳しく聞きたい。まさにこのラボも、そういった構造転換を起こせる場でありたいと思います」

 

 

苫野:

「そもそも「公教育」というのは、そもそも個々人が「自由」に生きる力を育むために存在しています。ただ、「自由」=わがまま放題ではありません。なぜかというと、わがまま放題に振る舞えば他者の「自由」を奪う形になり、そうしてお互いの自由を奪いあっていると、自分の自由もなくなってしまう。「自由」を主張するのではなく、お互いを「自由」だと認め合うことでしか、私たちが「自由」になることはできないんですね。これが自由の相互承認」の原理で、人類があらゆる争いを乗り越えて2〜3世紀前にやっと発見した、現代の民主主義の社会の根本にある最も大事なものです。異なる他者を認め合うという感度が高まった、この精神の大革命ともいえる出来事は、「教育」を通して達成されました。これは、歴史において本当に大きな転換だったのです。

 

 

 しかし今、「自由の相互承認」を育む最も大事なツールである「教育」が危機にあります。不登校、いじめ、体罰、教育格差、同調圧力、落ちこぼれなどの諸問題…これらは、150年間変わらない学校システムから生まれました。このシステムは元々19世紀のイングランドで発明され、日本へ輸入されてきたものです。それから時代は流れ、本当にいろいろなものが変化しました。でも、なぜか学校だけは変わらないんです。そういう意味で、構造転換をしていくべきだと私は考えています。

 では、「学びの構造転換」とは具体的に何を指すのかというと、学びの個別化・協同化・プロジェクト化、及びそれらを融合させることです。

 まず「個別化」でいうと、イコール「孤立化」ではありません。わからない時は気兼ねなく人に頼れるような、ゆるやかな「協同」性に支えられながら学びが営まれるのが大事です。この後神野さんにお話いただく「Qubena」はその実践例ですよね。また、「プロジェクト化」については、自分たちの「問い」を立て、自分たちのやり方で、答えにたどり着こうとすること。

 これらの変化は、すでに同時多発的に起こっています。今の日本教育に、構造転換を妨げるものはほとんどないはず。だから、どうすればそれぞれの、一つ一つの現場でこれが実現できるんだろうか?を考えていきたいですね」

 

今村:

「2022年から始まる新学習指導要領の内容自体、学習内容よりも育てたい資質・能力を柱に置いているので、本来であれば先生たちはこれまでの方法に囚われず、自由にカリキュラムを組んでいいはずです。先生方だってその方向でやっていきたいと思っている人が大半。ですが、ものすごく忙しい日本の先生たちが果たしてそこまでコストを割けるのか?という現実問題はあります。そんな中、ゲストである「Qubena」の開発者である神野くんが登場しました。」

 

 

神野元基(以下:神野):

「苫野さんの問題意識とは違って、僕が教育業界に参入したきっかけは2010年、シリコンバレーで起業したことでした。シンギュラリティ(※注)の観点から、今と同じ教育やってちゃダメだと強く思ったんです。これからの時代を生き抜く子どもを育てるにはどうすればいいかを考え、日本に帰り、「子どもたちに未来のことを伝えたい」と思い塾を開講しました。でも当時、AIの話は日本ではあまり聞かれなくて、一生懸命保護者や子どもたちに伝えてはいたんですが、当時の自分はまるで宗教家みたいな感じでしたね。

 そもそも現実面、子どもたちは学校の授業

、宿題、部活、習い事などで忙しく、未来のことについて学ぶ余裕なんて全然ないんです。そこでまず学習効率を上げたいと思って作ったのが「Qubena」でした。

 Qubenaの最大の特徴は、子どもが問題を解く様子を解析して「個別最適化」を図ること。解答のデータを蓄積したものを先生にも見てもらえば、生徒個々の理解度やつまずきを把握し、個別にフォローすることができます。知識・技能をたくさんの生徒に一斉に伝えるのはテクノロジーの方が得意。だけど、子どもの状況を把握したり協働の場を作ったりするのは人間

にしかできない。そうしてテクノロジーに任せるところは任せ、人間にしかできないことをやる、と言うのが僕自身のテクノロジーとの向き合い方です。

 実際の現場に導入してみるとどうなるか。千代田区立麹町中学校で2017年から実証していますが、1年のカリキュラムを半分で終わらせて、余白の時間を1学年上の内容やSTEAM教育に充てたりしています。また、教室で個々がタブレットと向き合って学習しているとそれこそ「孤立化」のように感じられるかもしれませんが、実際は一人ひとりからの発話や質問が増えて結構騒がしくなるんですね。友達同士で教えあったり、わからないことを自ら先生に聞けたりする。対話的・主体的な学びの空間が生まれます。そんなふうに、なるべく知識・技能を効率的かつ協同的に獲得していくことで余白を生み、結果的に未来を作る力を育むことをゴールにしていますね。

 ちなみに、「麹町中だからできるんでしょ?」と言われることもあります。もちろん先生方が頑張られたのもありますが、当然、最初は現場で反発もありました。1ヶ月ほど経ってから、「この子がこんなに勉強するの?」と言う変容が現れ、徐々に受け入れられていったんです。先生方からは集団指導の時間がなくなって「寂しい」という声もありましたが、結局生徒たちからたくさん質問が来るので、授業中先生は決して暇になるわけじゃないんですよ」

 

 

 

若新:

「初めてちゃんと聞かせてもらいましたが、「学びを個別化する」と言うのがこんなに大きな流れになっているのは知らなかったですね。親が教員だった自分のルーツ的に、子どもの頃は「理想的な学習スケジュール」がまずあり、そこについていける子が優秀で、ついていけない子はダメな子だと思いこんでいた。個別化を実現するとそれがなくなる。僕は自分が「勉強ができるタイプ」と思って生きていたけれど、何をもってそう思っていたかと言うと、周囲とその「スケジュールの進み具合」の比較でしかなく、今振り返ると「何を学んでいたか」ではなかったんですよね。

 今日の参加者の皆さんからのコメント欄にも、「留年はなぜいけないのか」「スケジュールの個別化はできないのか」といった意見が出ています」

 

今村:

「今回のコロナによる一斉休校で、いろんなことが明らかになりました。そもそも「学習をする場所」というのは、学校の役割全体のなかで実は3割くらいだったのでは?という声もあります。休校による学習の遅れを叫ぶ保護者は当然多いのですが、それすら叫んでもらえない家庭の子が、見えづらくなっているということも浮き彫りになりました。学校に行くと言う福祉機能があったから、人との安心安全なつながりを保てている子どもたちがいた。先生がいる、友達がいる、給食もある、養護教諭の先生もいる。その上で、協同的にグループワークを通じて学びを得ることができる。学校に行かなくても個別で学ぶことを覚えたお子さんの話もありますが、「Qubenaがあれば家で学べるし、学校に行かなくていいじゃん!」ではなくて、福祉的機能も担う学校という場において、こういったツールを使いながらいかに学ぶかを考えていかなきゃいけない。これはアフターコロナで議論していくべき課題だと思います」

 

 

評価の呪縛をunlearnする

 

若新:

「少し突っ込んだ質問になるんですが、学びの個別最適化をしていく中で、5教科7科目の普通科教育って前提なんでしょうか?習った内容を全部忘れた、とかよくいうし、僕自身も忘れてます。ただ、内容は何にせよ覚えたり吐き出したりを繰り返す中で思考力や整理する力を身につけているのではないかとも思っているんですが、どうでしょう?大事なのは学ぶ中身なのか、それともプロセスなのか。」

 

苫野:

「テストのために覚えたことの90%は忘れられるという研究もありますね。今のカリキュラムがどう作られたかというと、簡単にいうとその当時の学問体系が先行なんです。そうすると、学問成績に応じて社会のどの階層に人を振っていくのかが分かりやすくなり、ある意味当時の工業社会モデルにはフィットした。だけど、それで本当に個人が幸せになれるの?というのは別ですよね。自由の相互承認を育むためのものになっていない。本当に大事なのは、自分で自分の人生をどうすればより幸せに切り開けるかも含め、自分の「問い」に対し自分で答えを見つけていく、探究する力。それを特に大事とするならば、カリキュラムはそれ自体を大転換しなければならないと思います。」

 

若新:

「本来は普通科高校のプログラムを前提にする必要はないし、それを学んでないと教養のない人間になってしまうわけでもないということですね」

 

今村:

「ただ、評価基準が多様になると、教員の仕事はものすごく負荷が増えますよね。その点偏差値という指標は分かりやすいし、現状これ以上パワフルな成果指標がない。誰も偏差値が一番いいなんて思ってないけど、強力な代案がない状態です。何を目指していけばいいんでしょうか?」

 

苫野:

「義務教育で育てるべきなのは「共通の教養」と言われ、すべての人に保障すべき、将来どんな仕事をするにしても必要な力をさします。例えば探究の力などもそうです。高校からはそれと対比して、「自らの教養」が大事。例えば演劇をやりたいとか、こういう専門性を身につけたいとかですね。それが大事ということが社会全体で合意されれば、受験システムの変化が必要になってきます。芸大に入りたい人と先生になりたい人が同じ指標で評価されるのはナンセンスだということはみんなわかっている。「自らの教養」を学べるようなプログラムに、20年くらいかけて転換していく必要があると思います」

 

若新:

評価ってそもそもどうなの?評価のあり方とどう向き合えばいい?というのは、このラボでも継続的に議論すべき問題です」

 

神野:

「僕自身は、「アウトプットによる評価」を高等教育で積極的にできるのでは?と思っています。具体的にいうと、同じ指標で点数化するより、生徒が何かアウトプットした成果物を見て、教授陣とか大学側が「この生徒と一緒に何かしたい、一緒に何か作りたい」と思えるような人を自ら選んでいくようなやり方の方が、評価としては本質的なのではないでしょうか。例えば芸大の受験は、そこの教授が好きな絵を選ぶとか、誰と一緒に学びたいか、創りたいかで選んでいる。評価基準がそれくらい、ある種曖昧でもいいんじゃないかと思っています」

 

苫野:

「おっしゃる通りだと思います。評価の呪縛をunlearnしていかないといけない。要は、私たちは評価というものは「正確」で「公正」だと思わされていますが、実はこれは嘘なんですね。そもそも点数評価自体、恣意性と曖昧性がつきものです。だってその証拠に、同じテストでも点数の配分を変えるだけで結果も変わってしまうのですから。95点と100点にそんな違いはありますか?だけど、これが正確で公正なものというフィクションのもとで我々はやってきたんです。

 大学側も、こういう人と一緒に学びたい、一緒に作りたいというアドミッションポリシーを出していけばいい。就職試験もそうです。そこに厳密な評価基準はないですよね」

 

神野:

「Qubenaは今のところ英・数しか実装しておらず、レパートリーはまだないのですが、システム的にそれ以外の科目も表現は可能だと思っているので、数年内には実現したいと思っています。いずれ、芸術科目や体育もアダプティブにしたい。例えば体育って、100m走の速さだけを評価の対象にするのではなく、個々の体にとって最適な動かし方を、発達や運動神経に合わせてやっていくのが大事ですよね、本来は」

 

苫野:

「それ、すごくいいですね。私の大学のゼミに来ている車椅子の女の子が、今オンラインで体育の授業をやっていて「今まで見学しかできなかったけど、初めて5が取れるかも」と言っていました。それって、すごくグッとくる話ですよね」

 

若新:

「そういった個人の持ついろいろな特性を無視して、クラスの中で何番かを測ろうとすることが落ちこぼれを作ると思う。でも、自分が始めた物事について「何合目まで進んだか?」というのは、こちらで評価してあげられますよね」

 

 

学びに対する「感情」の格差

 

若新:

「ここまで色々話してきましたが、今日の話こそ、何が学べたのか、人によって全然刺さってる所が違うと思います。これで今この場がこの瞬間にパッと終わったとしても、皆さんが「全然何を学んだかがわからない」ということはないのではないでしょうか。「結論は何?」っていうのがないのが、学びを構造転換してくのに必要な余白だとも思っています」

 

今村:

「とはいえ、現実的なところで話題にしていきたいんですが、コロナの影響によって現場にかなり裁量権が委ねられ、学習に関しては、文部科学省から自由にやっていいというのが細かい指針も含めて通達されました。でも実際、本当に「自由に」できた現場は少なかったんじゃないでしょうか。もちろん評価は多様にした方がいいし、いっそ「しない」という手もあります。だけど、実際に現場で、どうやってその理想を実現していけばいいんでしょうか?この場がゴールがない場というのはわかるけれど、1個でもヒントにしたいと思ってます。実験するなら今しかないというくらい、制度として委ねられていますから」

 

苫野:

「オンライン授業が双方向でできている自治体は全国で5%で、その1つということで注目された熊本市で教育委員をやっているのですが、つい先日の会議で、夏休みの短縮は極力しないことに決定しました。それが意思決定できたのは、きちんとしたエビデンスがあったから。教育学研究の知見を持ち寄ったんです。一律の授業時間を伸ばせば疲弊し、その副作用の方が大きいという結果もわかっている。だから、みんなが一律に夏休みを短縮する必要はなく、困っている子がいたら、個別に徹底的にサポートすればいい。そういった、ちゃんとした説得材料を行政には置いていきたいですよね。何もしないと慣例に従い事なかれ主義になりがちなものですが、「なんのために教育をするのか」を解きほぐし、追求し、エビデンスをそこに持っていくと、物事は動くという実感があります。」

 

若新:

「コメント欄にもあるように、このままだといろいろな格差が広がる不安はあります。うちの学校は休校が長引いたからとか、うちの自治体は導入が遅れたからとかで周りに遅れを取ったんじゃないか、ということを心配する人はたくさんいますよね。けど、広がっちゃいけないのはそんなスケジュールの格差じゃなく、「勉強が楽しくてたまらない」という子と「勉強がつまらない、辛い」という子の「感情」の格差だと思う。

 科目の勉強は、スポーツの種目と一緒で当然得意不得意はある。同じようにピアノを習っていても、コンテストで優勝できる子とできない子がいる。その時大事なのは、優勝しようがしまいが「弾けるようになった経験」がその子にとって楽しければOKだということ。勉強も一緒で、進むペースが遅くたって、楽しければ社会人になってからも大学に行こう、とかいくらでも思えるはず。一方、勉強が苦痛だった人はなかなかそうはいきません。今回のコロナの件で思ったのは、カリキュラムが間に合わないとかスケジュールが遅れているとかに惑わされず、そもそも「勉強って面白い!」というところに立ち返る必要があって、そのための1つが個別化なんじゃないかな?と感じました。「学ぶ」ということが楽しかったら、後々なんとでもなりますよね。」

 

今村:

「..という感じで、ゆるくいろいろな話をしながらやっていきたいと思っています。今日はこの4人ですが、これから現場の先生にもこの場に入っていただいて、誰か一人の具体の話を上げてもらいながら、参加者同士の皆さんも横に縦につながっていくような、みんなで話していく場作りをしていきたいです」

 

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「ゆるいエデュケーションラボ」参加者募集中!

 

月2回の配信(アーカイブあり) & 実践者同士で学び合える勉強会も定期的に開催!

教育におけるこれまでの様々な「あたりまえ」を紐解き、探究し、実践するコミュニティに参加しませんか?

 

<内容>

※全て後日アーカイブ配信あり。予定が合わない方も、好きな時にスマホ1台でご参加いただけます。

 

【エデュケーション探究】

若新雄純・苫野一徳・今村久美の3名が、先生や生徒の声を聞きながら現場のリアルな課題を紐とき、共に探究していきます。

 

【エキスパートチャンネル】

教育に関する多様なテーマのエキスパートを招き、最新の実践や動向について学びます。

 

【実践者向け勉強会(高校向け)】

探究学習の実践例から現場の先生同士が学び合い、それぞれの実践を高めていくための勉強会です。

 

 

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