LOADING

LOADING

マイプロジェクト

地域Summit

2021.8.2

卒業生インタビュー〜自分の働き方に出会うまで。気仙沼の若きデザイナーが歩むキャリアとは。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

本インタビューは、秋頃リリース予定のマイプロジェクト卒業生限定WEB「マイプロNEXT」の先行公開コンテンツになります。

マイプロジェクトアワード過去出場者の皆さんは、WEBの完成をお楽しみに!

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

地域おこし協力隊、デザイナー、合同会社経営者。
宮城県気仙沼市で3つの名刺を持ちながら働いていたのは、この町で生まれ育った小野寺真希さん。
小野寺さんが中学3年生の時、気仙沼市は東日本大震災で大きな被害に遭った。震災後の町には、自衛隊やボランティアなど県外から多くの人が集まり復興支援に尽力していた。

 

高校進学後、勉強や部活と不自由なく高校生活を送れていた一方で、地元住民ではない人も町の再建に関わる様子を見て「ここに住む自分こそ何か出来ることはないのだろうか」と歯痒さも感じるようになった。
そんな時、友人が取り組んでいた、恋人の街をテーマに観光企画やリーフレット作成を行うマイプロジェクト(以下、マイプロ)の活動発表会に誘われる。高校生でも地域に貢献できる形を知り、何より楽しそうに活動している友人の姿を見て活動への参加を決めたという。

 

高校卒業後はマイプロを通して関心を持った、まちづくりの道に進むため東北芸術工科大学のコミュニティデザイン学科へ進学。在学中に地元の地域おこし協力隊に入職し、任期終了後の現在は個人事業に力を入れている。

新卒でのキャリアとしてはハードルが高い印象だが、小野寺さんの肩肘張らない仕事への姿勢を見ていると、そんなイメージが薄れていくように感じる。
新しくて楽しそうで、でも踏み出すにはちょっと勇気がいる働き方。小野寺さんがこの働き方を選んだわけとは。

 

 

仕事をする時間も場所も自分で選ぶ楽しさ

 

ーー地域おこし協力隊の任期を終えた現在は、どのような働き方をしているのでしょうか?
今は「荒屋デザイン」という自分の個人事業が中心で、グラフィックデザイン、チラシ作成などの仕事がメインです。もうひとつ、自分を含めた仲間3人で経営しているコミュニティデザイン事務所「合同会社moyai」で、行政のまちづくり事業の委託を受けたりしています。
最近では京都の方でもコミュニティデザインの仕事をさせてもらっていますね。実は個人事業と合同会社は協力隊にいた頃から初めているんです。協力隊は週5フル勤務ではなかったので、他の空いてる時間でデザインの仕事始めたり、合同会社の仕事も少しずつ着手していたので、協力隊の任期終了後にそのまま移行したという感じです。

 

ーー個人事業と合同会社は、協力隊のように元からある組織に入職する形ではない分、決断するのが難しいように思います。どういった経緯で始められたんですか?

個人事業は、大学生の時に先生から「個人事業主の登録をやってみたら?」と言われたのがきっかけで、軽いノリで始めました。個人事業主って、実は税務署に紙一枚出すくらいでできるし、個人事業主になったからといって売り上げを出さないといけないわけでもないから、登録だけまずやってみなよと勧められたんです。
大学でワークショップやグラフィックデザインもちょっとずつできるようになってきた頃でもあったので、協力隊の傍でやってみてもいいかもと登録しました。「もしチラシを作る仕事とかワークショップやって欲しいみたいなことがあったら仕事ください」と周りの人に声をかけて、少しずつお仕事をもらえるようになりましたね。

合同会社の方は、大学4年生の時に参加したワークショップ運営がきっかけです。気仙沼市のまちづくり計画を市民が集まって話すという企画があったのですが、そのワークショップ運営を引き受けたのが、大学の知り合いだったので、私もスタッフとして参加していました。ワークショップの中で市民の人たちがたくさんのアイデアを出してくれたのを見て、「実現するためのサポートもやっていかないといけないよね」と一緒に取り組んでいた人と話すようになり、そのまま合同会社をつくることになりました。

 

ーー地域おこし協力隊の時期も含めると、3つの仕事を持つパラレルワークですね。日々どのようなスケジュールで動いていましたか。
協力隊の勤務先は、気仙沼スクエアシップというコワーキングスペース。午後の1時から9時の営業時間に合わせて働いていました。とはいえ、勤務中は受付や会員登録手続きなどの管理業務を適宜行う形で、空いてる時間に自分のデザインの仕事をしたりしていましたね。個人事業も合同会社も毎日決められた時間に仕事をするという形態ではないので自由に働けています。個人事業の仕事に関しては、納期までに作り終わればどんな時間帯に仕事しても大丈夫ですし、合同会社もメンバー全員が別の仕事を持っているので、空いている時間を合わせて話し合いをしたりしています。毎日決まった働き方ではないけど、その時持っている仕事を自分でスケジューリングして活動しています。

 

ーーちょっと聞きにくいのですが、収入面はどうですか。リアルなところ聞いてみたいです。
協力隊の時はそのお給料で生活できる状況で、それがあったのでデザインや合同会社の仕事はオファーが来たらいくらでもいいから受けようというスタンスでした。協力隊が終わった今では、デザインの仕事が1番の収入源です。デザインの仕事が6割、合同会社と他に引き受けている仕事が4割かな。去年の4月から協力隊の任期が終わりどうなるか不安でしたが、一般的な年収くらいにはなったと思います。

 

ーー個人事業をされていて大変なことはありますか?
仕事を断るのがあんまりできなくて。抱えすぎて、今日と明日徹夜すればいけるという状況に陥りがちです。私みたいに未熟な人が断っちゃっていいのか、仕事来なくなるかもと不安に感じてしまって。でも、自分で仕事をする時間も場所も好きに決められるのは楽しいし、今の自分としては合ってる働き方だと思ってます。

 

 

 

 

今あるチャンスを逃したくない

 

ーーどんな過程で今の働き方にたどり着いたのか教えてください。
就活を意識したのは大学3年生の時からかな。普通に大学で就職活動の授業や説明会が始まったタイミングからです。就活はやりたくないなと思っていて合同説明会は1回だけしか行ってません(笑)。最初は協力隊の募集があることすら知らなくて、いつか気仙沼に帰れたらいいなって想いが頭の片隅にありつつも、関東や関西のまちづくり系のNPOなどを探していました。その頃、協力隊の受け入れ先である団体に関わっている知り合いが、Facebookで隊員募集の投稿をしているのを見ました。それが地元である気仙沼でできるのならチャレンジしたいと思ったし、枠も限られていて次の募集がいつあるかも分からなかったので、今のチャンスを逃したくないと決心しました。
大学の授業で、デザインやまちづくり、NPOの仕事に携わっている人の話を聞く機会が多かったので、企業に就職する以外にもいろんな働き方があることを知れていたのは大きかったかもしれません。

 

ーー所謂一般的な就職ではない道に進むことに不安はなかったですか?
キャリアの不安よりも就活が嫌だったことが大きかったですよ(笑)
私自身の不安はどうだったかな……。仕事できるかなってドキドキはあったけど、私よりも周りの人の方が心配してたかもしれません。そもそも協力隊に新卒で入職するケースって少なくて、「ある程度社会人経験積んでからの方がいいんじゃない?」とか「新卒ブランドを協力隊で使うのはもったいない」、「気仙沼に戻るとしても、最初は違うところで修行してから帰ってきたら」などなど意見はありました。どの意見も納得するものだったけど、学生生活の中でいろんなキャリアの積み方をしてきた大人と出会ってきたので、自分もきっとなんとかなるだろうという根拠のない自信はあったんです。

 

ーーいろいろなタイミングや出会いにも恵まれたんですね。地元である気仙沼への想いはUターン前と今とで変化はありましたか。
高校時代にマイプロ始めるまでは、気仙沼のことは好きでも嫌いでもなかった。マイプロの活動をきっかけに気仙沼って面白いなと思うようになって、山形の大学に進学後も、気仙沼で新しく始まる取り組みや移住者の話を知り合いから聞いていました。気仙沼っていろんなことできるし、応援してくれる人も面白いことしてる人もいるんだなあと、地元に対してポジティブなイメージが持てるようになりました。仕事を始めてからは、「気仙沼に帰りたいけど仕事のことを考えるとなかなか……」という声をよく拾うようになりました。地元にいる身としては、帰りたい気持ちのある人が帰って来れたり、子どもたちが将来の選択肢として気仙沼を選べるような街にしていけるといいなと思いますね。

 

 

全くの初心者だったデザインが仕事になった

 

ーーところで、小野寺さんはデザインをメインにお仕事をされていますが、デザインは昔から関心があったんですか。
大学入学までは全然興味無かったです。入った大学がたまたま芸大だったけど、私の所属はコミュニティデザイン学科でまちづくり系が専攻。そもそもデザインすら知らない状態でした。先生から、まちづくりやワークショップの勉強以外にも何かデザインの勉強もしなさいと言われて授業を受けることに。今仕事で使っているソフトもその時から触れるようになりました。

 

ーー大学生になってから新しく始めたんですね!デザインとかセンスが必要そうなものって早くから触れてないと難しいと思ってました。
そうなんですよ。私ももっと早くからやってないとできないと思いこんでいたので、それを仕事にできたのは自分にとって自信になりました。しかも、デザイン系の授業を取り始めたのは2年生になってから。3年間で仕事に繋げられたのは良かったです。今後自分が新しいことに挑戦したいと思ったとしても、この経験が背中を押してくれそうです。
ただ、最初はモチベーションなんて全くありませんでした。Illustratorというソフトを使っていたのですが、難しいし全然分からないし、最初は「なんで私デザインやってるんだろう?まちづくりの勉強が専攻なんだけどな……」と思っていたくらい。でもまちづくりの仕事をしていく上で、デザインって本当に大切なんです。例えばワークショップをする時、参加者の人に来てもらうためにも楽しい雰囲気や、参加したらどんなことができるかイメージしてもらうことが重要になってきます。自分のやりたかったまちづくりにも必要なスキルだと感じるようになってきてからは、もっと技術をつけていこうという気持ちになりました。

 

ーー今働いていてやりがいを感じる時や、大事にされていることはどんなことでしょうか?
地元で働いているので、一緒に仕事をする人も大体知ってる人、お世話になったことがある人だったりするんです。自分は子供時代を気仙沼でずっと過ごして今やっと社会人。それまではただ支えてもらう側だったけど、今は支えてもらってた人たちと同じ立場で仕事できていることがすごく嬉しいし、自分も支えてもらった分これから気仙沼の力になりたいと思います。デザインの仕事だと、私が作ったものがまわりまわって、知り合いの地域の人のところに届いて「まきちゃんの名前が書いてあったよ」と連絡くれることもあります。制作物がいろんな人のところに届いて反応がもらえるのも嬉しいです。

大事にしていることでいうと、自分で選択して、その選択にきちんと責任持つことはずっと意識してたかな。自分で選んだことを良かったって思えるように頑張りたいんですよ。それこそ仕事始める時に周りの人からいろいろ言われたりもしたので、「私が自分で選んで良かったって言えるようになるから、ちょっと見てて、大丈夫だから」ってスタンスでいます。そうやって、周りの意見に流されずに自分がやりたいことを選んでいくことが1番大切なのかなと思います。

 

 

小野寺さんのこれからとメッセージ

 

ーー仕事を通して地域にもたらしたいこと、今後自分がチャレンジしてみたいなっていうこととかありますか?
高校時代にマイプロを通して、地域に住んでる人たちが幸せを感じられたり、その地域に住んでる人たちが自分のやりたいことをやれる環境を作りたいと思ったんです。大学入学後も、仕事始めた今もその気持ちは変わりはなくて。そんな地域にするためのまちづくりを行っていきたいです。今は気仙沼を拠点に活動していますが、東北全体が好きなので他の地域でもお仕事できるようになりたいです。

 

ーー今のマイプロは?

自分のやりたいことを仕事にさせてもらってる分、今の仕事がマイプロです。

 

ーー後輩や読者へメッセージを!
やりたいって思ってから、始めても遅いってことはないと思います。もしやりたいことや気になることとがあれば、諦めずに始めてみてください。

Categoryカテゴリーごとに見る
伴走者 伴走者インタビュー パートナー マイプロを育む「学びの土壌」 お知らせ イベント プログラム レポート 高校生インタビュー メディア掲載
Monthly月ごとに見る